「苦手」の根源はどこにある?
「40代半ば」と称される年齢になりました。年齢的なことだけで考えれば、きっと立派な大人なのでしょう。この歳になるまでいくつかの失敗をしてきましたが、自身が「立派」とは程遠い大人になっていることに気づかされます。子供のころからおふくろに叱られ続けてきたことって、残念ながらこの歳になっても、なかなか治らないものですね。
「得意」か「苦手」かに関わる要素として、それが「好き」なのか「嫌い」なのかは、大きな影響を与えているように思えます。好きな方が得意になりやすいし、嫌いな方が苦手になりやすい。果たして「嫌い」は「好きに」変わるのでしょうか。
私個人的には、それはとても難しいことだと思います。嫌いなものに対する嫌い度合いや、苦手なものに対する苦手度合いは、年齢を重ねるごとにますます強くなっていくようにも思えます。無理に好きになろうとしなくていい。「嫌いだ!!」と認識しながら、その対処法を考えていけばよいと思います。
「理科が苦手です」とは、とても抽象的な表現だと思います。数ある科目の中で「理科」と限定しているから、まるで具体的かのように思えるかもしれませんが、私はそうは思いません。
それは1分野を指すのでしょうか。それとも2分野を指すのでしょうか。光や音や圧力などの物理現象?化学変化やイオン?植物や生物?大地や気象?どの分野が苦手なのでしょうか。
社会が「地理」「歴史」「公民」の3分野に分かれているように、実は理科も「物理」「化学」「生物」「地学」の4分野に分かれています。難易度の高い分野は、多くの中学生が苦手とするところですが、自分の苦手科目を「理科」と大きくとらえずに、もう少し細分化して考えてみましょう。何か克服のためのカギが見えてくるかも。
高校進学後の進路について、中学生の段階からはっきりした目標を持つことは、とても難しいことです。進学か就職か、専門学校か短大か4年制大学か。国公立か私立か。県内か県外か。文系か理系か。「若者には無限の可能性があるんだ!!」は紛れもない事実ですが、これをただただ大人が叫ぶのは、非常に無責任です。「無限の可能性」を秘めながら、この先の進む道をいずれ自分で選択しなければならないのです。一番よくないのは、何も考えず何気なく過ごし、何も選択しないこと。選択したふりをすること。
「苦手を克服する」ことの先に、あるいはその途中に「自分を知る」という過程が含まれているように思えます。それを克服したときに、自分という人間について少し理解が深まっているでしょう。それらの経験は、いつか必ずあなたの「選択」をよりよいものにしてくれるはずです。